ファンタジーの向こう側
「頭を切り替えるコツ?それは、目の前に新しい紙を置くことです。」
50年近くものあいだ絵の世界で一線を走り続けてきた天野喜孝が、これまで取り替えて来た紙の枚数を、想像出来るだろうか?絶え間なく湧き出るようにも見えるその創造力の源には、旅から受けるインスピレーションも少なからず作用しているようだ。ニューヨーク、パリ、ベルリン、香港、サンパウロなど、自分が訪れてみたい場所での仕事はできるだけ引き受けて、刺激を受けに行くという天野氏。日本国内でも、伊勢神宮や高野山、熊野神社などへ何度も訪れている。
「日本では基本的に取材旅行はしないんです。ただ、2度だけ訪れたことがある世界遺産の熊野は、今でもとても印象に残っています。一度目は友人と、二度目は仕事で訪れたのですが、インスピレーションを受けるきっかけになったというか。神秘的で、自然が際立っている。自然が勝っている場所というのかな。」
「地元の方にクルマで案内してもらったんですけど、熊野と吉野の間を結ぶ道なんて、一方通行で薄暗い。夕方なんか不安になってくるような交通の便の悪いところにある。だからこそ、巡礼することが貴重だったんだろうな、と判りますね。とくに熊野神社の本宮は良かった。熊野で買って来たお守りはデザインが格好よかったんで、ぼろぼろなんだけど、今でもずっと持っています。」
「熊野にはいろんな伝説があるんだけど、昔、高僧が舟に乗って極楽にいくという風習があったらしいね。もちろん、海の向こうに別の陸があるなんて知らない時代のことだから、死を覚悟して舟に乗るわけだけど。海の向こうには極楽浄土があると信じていたらしい。でも高僧たちは、内心は行きたくなかったらしいけど。(笑)海に囲まれた日本には、昔からそういう不思議なファンタジーがあったんだろうね。」
意外にも、旅先ではスケッチなどをほとんどしないという天野氏。訪れた土地から直にインスピレーションを受けながら、静かに咀嚼し、元麻布にある隠れ家のようなスタジオに戻って思いを巡らせ、気ままに筆を走らせるのだという。
「モノを創る作業は2段階あって、想像する瞬間は楽しくていつまででもやっていられる。ラフスケッチなんていうのは、まだ空想の範疇で、10秒くらいでいくらでも描いていられるんです。ただ、想像したものをカタチにしてフィニッシュする作業自体が大変ですね。もちろん経験や技術力がなくては作品化できないし。形のないものを物体化させる作業は面倒ですよね。だから元麻布のスタジオでは空想の時間を過ごして、杉並のスタジオでは作品化する作業に徹します。」
「絵は下手でも情熱があると楽しいし、どんどん巧くなる。でも、巧くなると今度は仕事も増えてきて作業が早くなっていく分、危険なんだよね。どんなに数をこなしても同じに思えてしまう。基本的には何でも描きたいし、頼まれるとありがたいから引き受けてしまうのだけど、 そろそろもういいかなって(笑)。」
「例えば、僕が今までに1万枚絵を描いたとするでしょ。そしたら、これから100枚描いたとしても、当然だけど1万100枚でしょ。もう、そんなに変わらない。(笑)だったら、その100枚を描く時間を自分の好きなことに使いたいというのはあるよね。」
今一番やってみたいのは、アクセサリーやジュエリーのデザインなどファッション分野だという天野氏。自分に与えられた時間を、できる限り好きなことに費やしたいとするその姿勢に、もう迷いはないようだ。
「もともとカルティエのアクセサリーとか見るのが好きでね。実際に商品化して具体化すると大変だけど、それは誰かに任せるとして(笑)、想像してスケッチするのは楽しいからね。よく考えたら、絵を描く時ってそういう服飾のデザイン、全部入ってるんだよね。ジュエリーもファッションもヘアも、ジャンルは違っても、いつも一人で全部デザインしてるみたいなものだから。」
「オペラや歌舞伎の舞台美術や衣装デザインを頼まれる時も、絵の延長だと思ってやっています。歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが泉鏡花の戯曲『海神別荘』を歌舞伎座で上演した時に舞台衣装と美術をやらせてもらったんだけど、海の中に住む王子の元へ人間の娘が嫁に行く話なのね。浦島太郎という日本の昔話みたいなファンタジーなんだけど、その時も、いつもの絵の世界の延長のような感じで場面を全部絵に描いていって、それを舞台で再現してもらった感じでした。」
「同じファンタジーでも、『ファイナル・ファンタジー』のデザインをしていた頃は、西洋のファンタジーの絵を描いていたので、その印象が強いと思うんだけど、その後、源氏物語やその他の日本の古典をベースに色々やったりして、ひと回りした気がします。今はもう、どこの国のひとが作ろうが、共有することによって、世界が同時に共鳴する時代です。国境が関係なくなり、作品自体に魅力があるかどうかが問われる時代になりましたね。」
〈個性と多様性の時代〉を生きる若者たちに向けて、 彼は優しくエールを送る。まっすぐ純粋に自分の情熱を追いかけて来た彼のメッセージは、穏やかに、しかし鋭く、私たちの視界を開かせる。それは〈現代〉というファンタジーを読み解くための大切なヒントと言えるかもしれない。
「よく主観でモノをみるのは悪いことのように言われるけど、そんなことない。客観て、結局は比較でしょ。人と比較しても仕方ないんだよ。ただ目の前にある興味のあることをやっていけば、次から次にやらなくちゃいけないことが出てくる。要は、社会をあんまり俯瞰でみないことだね。ひとりひとりがまじめに、やりたいことを頑張って追求するしかない。今の時代がたまたま閉塞しているんじゃなくて、いつの時代だって問題はあるんだから。」
「僕のまわりを見ても、すごい人っていうのは自分の個性剥き出しだからね。本人がそれが本当に好きだと思っていることが重要でね。たとえ、変な奴だと思われても、それがやがて光ってくるから大丈夫。もちろん、興味が見つからない人はしょうがない。でも、探し続けたらいい。人生は短いから、そうやってみたらずっと濃くなる。そしたら、もう政治とか経済とか関係なくなるよ。」
「好きなことって、選ばれるんだよ。決めることじゃない。だから、ぜんぶ必然なんだよね。偶然なんて、ないと思う。ただ、好きなら自分で“やろう”って決めるだけ。アーティストは、やるしかないの。巧いか下手かも、人が決めること。 でも、やるのはいつも自分。やりたければ気にしないでやるだけだね。それでも、人の言うことが気になるならやめればいい。全部、自由なんだから。だからって、人や時代のせいにしないこと。だって、医者は病気を判断して治療してくれるかもしれないけど、実際に治るのはいつだって自分なんだから。」
(取材•文 飯干真奈弥)