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Dice Tsutsumi (2/4)

堤大介(つつみ・だいすけ) アートディレクター
Monsters, Inc.

自由という名の襷

18歳になったら親元を離れること。それが、幼い頃から母に言い渡されていた堤家のルールだった。それに従い、堤氏も高校を卒業後は母のもとを離れて留学している。欧米社会でこそ当たり前の慣習だが、日本の家庭ではいまだに珍しい教育方針だろう。しかし、そのルール以外のところでは全くの放任主義だった母がこだわったのは、子供に“自由”というものを学ばせる環境選びだった。

「僕が5歳のときに両親が離婚しまして。それからは、父からの援助も受けず、母が自分の会社を経営しながら僕と姉(ジャーナリストの堤未果氏)を女手ひとつで育ててくれました。そんななかで、平和教育と自由教育に重点を置く和光学園で僕たちを学ばせたいという母の決意はとても強く、小学校から高校までずっと東京都町田市にある私立の和光に通わせてくれました。80年代の日本は完全な男社会でしたから、相当の苦労だったと思います。今となっては感謝しかありません。」

「和光学園の教育の特徴は、“答えを与えずに考えさせる”こと。自分の頭で考えて、他人と意見が食い違うのならとことん話し合え、という教育姿勢でした。だから、ディスカッションをとても重要視していて、生徒が疑問をもったり問題があったりすると、授業を中止して一日中話し合いなんてこともざらにある。テストの点数より、自分の意見をきちんと言えることの方が重要だと。それに、勉強とかスポーツとか、なにかを子供に強いるようなことも一切ない学校でした。自分たちの手で教科書を作ったこともありましたね。もし日本に住んでいたら、自分の子供も行かせてあげたいくらい面白い学校でした。」

Wako Gakuen

「点数さえ良ければいいという考え方だと、だんだん自分の本質というものを見失いますよね。それだけを成功の物差しにすると、自然と競争社会の中でいわゆる〈成功しない人〉が出てしまう。そうではなくて、自分なりに物事の本質を見極めるまで考えるということは、自分がどこに価値を見いだすのかを知るということ。つまりは、自分の本質を知るということです。いま振り返ると、僕は和光でその力を養ったおかげで、自分が心から打ち込めるものを見つけることができ、非常にラッキーだったと思います。同級生たちも、なぜかクリエイターやデザイナー、音楽家、自営業などが多く、どこかで社会のレールから外れている人が多い。(笑)それを良いとするか悪いとするかは人それぞれですが。」

そうした“自由”を重んじる教育環境の中、受験と言う日本教育の象徴を全く経験することなく進学し、大好きな野球だけに夢中になっていた高校時代、にわかに思いがけない出来事が起こる。1990年代初頭に日本経済バブルが弾け、母の経営する会社が倒産したのだ。

「母の会社が倒産するような窮地に陥っていたことも、僕は全然気がついていませんでした。 ものすごく大変だったはずなのに、それをおくびにも出さず、僕らに心配をかけまいとしていたんだと思います。結局、母は大きな借金を抱え、僕自身、もうさすがに大学とか留学とかは無理かもな、って思いました。ところが母は、そこだけはどうしても叶えてあげたい、心配するなと言って、僕をアメリカ留学へ送り出してくれたんです。すごい人だなと思いました。」

「だから、僕も姉も、ニューヨークに行ってからは、本当に頑張ったと思います。母親の気持ちを考えたら、一時も無駄にできないな、って思っていましたし、大学で遊ぶ余裕なんかはなかったですね。とくに、姉はもともと地道に勉強なんてしたことなかった人ですから、相当頑張っていましたね。高校を卒業して、ニューヨーク市内のシティカレッジに行ってからは苦労しながらも猛勉強して、国際関係論を学んだんです。大学でも決して成績は決して良くはなかっただろうけど、とにかく必死で 卒業したんです。」

Illustration

「いまでこそ、日本では国際ジャーナリストとしてベストセラーとなる本をいくつも出していますが、彼女が世に出るようになったのは30代も後半になった頃。それまでは他の仕事で食いつないだりして、世間的な目とか、金銭的にも苦しかったはずだと思う。それでも、心から本当に楽しいと思えることに出会えたから、彼女はたとえ結果の出ない時期が長くても、ずっと幸せだったんじゃないかな。」

それぞれの苦境を乗り越えて、子供たちは夢をつかんだ。そして、昨年には孫が産まれた。堤氏の長男、仙樹君だ。孫を心底可愛がる母の姿を目にして、思わず驚いてしまったという堤氏。長い間、仕事で忙しい母の背中ばかりを見て育った彼の目には、それがいかにも新鮮な「母親らしい」姿として映ったのだろう。それと同時に、自分にとって「父親らしい」姿とはなにかを考えるとき、その眼差しは目の前にいる我が子だけでなく、その世代全体へと向けられている。

「子供ができたら、きっと自分は変わるだろうな、とは思っていました。でも、それが〈父親になる〉ということなのかどうかわからない。5歳の時に父が家を出て行ったのと、もともとすごく父親らしくない人だったので、実際は父に何度も会ったことはあっても、自分のなかに「父親」というイメージがないからです。ただ、息子が産まれてから考えるようになったのは、〈自分が死ぬまであと、どのくらい時間が残っているのだろう?〉ということでした。」

「決してネガティブな意味じゃなく、子供の未来の時間のほうが自分よりも重要だって感じるようになったということです。それはたぶん、本能的なものだと思う。自分が生きていられるうちに、次の世代に残せるものは何なのか? 子供が産まれると、その思いがますます強まり、重みが増すように思う。」 

「人間の歴史の単位で考えれば、自分ひとりの歴史ってすごくちっぽけでしょう。なんとかこの子たちの世代が大きくなったときに、幸せな生活ができる環境を残せないだろうかと、そういう本能的な思いを表していかないと人間たちはもう長くは生き残れないと思うんです。目先にある〈欲〉や〈エゴ〉から自由になり、次世代の人たちのためにこそ、人間は自分の能力を使う意味があるはずだと思う。そしてもちろん、僕らが映画を作る力も、そのためにありたいと願っています。」

(取材•文 飯干真奈弥)

  Senju
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