今、撮らないとやばい。
石井監督が映像の世界に入ろうと思ったきっかけは、意外にも、1976年のアメリカ映画『がんばれ!ベアーズ』(The Bad News Bears)だったという。怠惰な酒飲みに落ちぶれてしまった元マイナー・リーグ選手の清掃人バターメーカーが、ひょんな事情から問題児ばかりを抱えた弱小の少年野球チーム〈ベアーズ〉を率いる監督になり、子供たちを相手に奮闘する姿を描いた大ヒットコメディだ。
「僕自身、ずっと『がんばれベアーズ』みたいな子供たちの映画が作りたいと思っていたのに、これまでやれてなかったんですよね。でも、3.11の震災をきっかけにして、やっぱり子供たちのための映画を作らなくちゃ、っていう気持ちが急に強くなった。“今、撮らないとやばい”というか。震災の時は、映画を作ってる人たちの多くがそう感じたと思うんですけどね。それで、とにかく『ハロー!純一』は早く作りたいというのがあって、自主映画にしたんです。」
「今回は、映画づくりもそうだけど、新しい映画配給の方法はないんだろうか、ということも色々模索しました。最初に撮った自主映画『そらそい』の経験で、配給先を見つけて劇場公開することの難しさを知ったんで。だからまず、一番見てもらいたい子供たちに、もっとシンプルに映画を届けるにはどうしたらいいのか調べてみようと思って、配給・興行のプロたちに話を聞きに行きました。」
「スタジオ・ジブリの鈴木敏夫プロデューサーや、T-JOY(東映グループの興行会社)の紀伊宗之プロデューサーにお会いして、従来のやり方以外にも映画を地道に上映していく方法がいくつかあることを教えてもらいました。たとえば、地方の公民館にはバブル時代にものすごく贅沢に建てられた立派な劇場が備わっていたりして、そうした日本全国の公民館ネットワークを仕切る運営グループがあることを教えてもらったり。二人とも、日本の映画興行の世界では一番のプロだから、本当にいろんな事を考えてて、すごく勉強になりました。」
自信の持てない弱虫小学生の純一が、 友人たちと一致団結をしてバンドを結成し、大人たちに見守られながら生き生きと成長する姿を描く『ハロー!純一』。この作品ではじめて、子供たちによる、子供たちのための映画を作ろうとした石井監督だが、 次回作では、本当に『がんばれ!ベアーズ』のような野球映画を撮ってみたいという。それも、石井監督が大好きな街、福岡で。
「福岡には、プライベートでよく遊びに行くんですよ。東京駅から新幹線に乗ってぶらっと飲みに行く感じ。グリーン車でゆったり仕事しながら、ちょうど終わるころに終点・博多で降りて、そのまま中洲へ飲みに行くみたいな。(笑) 」
「面白いのは、新幹線に乗っていても、西へ行くにしたがって車内の空気が変わってくるのが判るんですよ。東京から大阪までは、なんかピシーっとして緊張してて、下手するとギスギス感がある。なのに、大阪を超えるとなぜか、車内もダラーッとリラックスしてきて、だんだんどうでもいい雰囲気になってくる。その逆も然りで、東京に近づけば近づくほど、空気がピリピリしてくるというか。」
「福岡では、まだしっかり仕事はしたことがないんです。だから、次回はぜひ福岡で映画を撮りたいですね。というか、もう移り住みたい。(笑)それくらい好きですね。実際、最近はCMの監督で福岡に移り住んでいる人も結構いますし。とにかく福岡は、人も、街も、ごはんも、全部があったかい。ごはんなんて、毎日外食でもいいってくらい、巧くて、安くて、ハズレがない。それに、クルマで1時間も走ったらいろんな温泉があるから、黒川温泉とか、壁湯温泉とか、行くたびに違う温泉に行ってます。 」
大のお酒好きで、全国の居酒屋や歓楽街で飲み歩くのが好きという石井監督が〈焼酎と日本酒の十字路〉とも呼ばれる酒都・福岡の街を好きになるのも無理はない。なかでも博多・中洲の女の子たちと一緒に飲むお酒には思い入れがあるようだ。
「中洲で飲む時は〈ルーチェ〉というお店によく行きます。働いている女の子たちがみんな、心から水商売が好きでやっているという感じで、気持ちがいいんです。自分の源氏名を子供につけようと思ってる子とかいて(笑)、なんか朗らかなんですよね。上下関係もしっかりしてるし。お店に女の子を口説きに行っているような人たちにとっては、あんまり面白くないかもしれないけど、僕はそういうお店の方が好きなんです。」
「なかでも、ユカちゃんという子には、彼女が18歳くらいの頃からずっとお世話になっていて、中洲のことをいろいろ教えてもらった。お客さんを連れて行ったりしても、前もって電話すると、“いまの時期なら寿司がいい”とか“水炊きがいいならあの店”とか気を回して、食事の予約とか全部やってくれるんです。だから、行くたびに彼女にいろんな店を紹介してもらっています。以前、中洲で道に迷って電話した時も、黒服の男の子たちを案内に寄越してくれたことまであった。(笑)ほとんど僕にとっては中洲のコンシェルジュみたいな存在です。」
「全国いろんな場所のキャバクラに飲みに行きましたけど、中洲の女の子たちが面白いのは、とにかく休日の使い方が贅沢。 温泉はもちろん、海や山に囲まれているから、 毎週末ゴルフへ行ったり、お客さんのクルーザーに乗りに海へ行ったり、すごくアクティブなんです。下手したら、釜山まで行ってエステして帰ってくるとか。もうやることが多くて困る、みたいな感じらしいです。(笑)僕も仕事の時だけ東京行って、あとは彼女たちみたいに福岡で遊んで暮らすのが理想かな。ついでに、福岡で映画が撮れたらもう言うことなしだね。」
今、撮らないとやばい。そう直感しただけで一本の自主映画を作り上げてしまう石井克人という人はただ、呆れるくらい自分に正直なのだ。そして、その直感の速度と強度は、これから、ますます増していくのだろう。本当に撮りたい映画、本当に住みたい街、そして本当に伝えたい人たち。いま、彼の目に映っている世界が数年後にスクリーンの上で再現されるとき、私たちはきっと思い出すはずだ。「今、撮る」ということは、「今、生きる」ということなのだと。
(取材•文 飯干真奈弥)