無菌化するコドモたち
いま、日本に住む子供たちの体温が下がり続けている。この傾向は1980年頃から指摘され始めたものだが、戦後すぐの子供たちに比べると、現在では実に2.5度近くまで低温化しているというデータもある。しかも体温が1度下がるごとに、免疫力が30%以上も低下するというのだから、状況は予想以上に深刻だ。とくに都会に住む子供たちは、季節の寒暖に関係なく空調管理され、抗菌化された空間で無菌培養されているようなものだと、アニメ監督・森本晃司は指摘する。
「小さい頃から試しに土でも食べたりするような経験をしないと、きちんと抗体は育って行かないよね。それなのに、子供の遊ぶところはみんなコンクリートで、街からは不思議な場所やモノがどんどん無くなっていく。大人たちがきれいに整備して、“さあ遊んでください”って感じで決められたって、そんなに清潔な場所で子供は遊びたくないよねっていう。遊ぶ場所くらい自分で決めたいでしょう。だから子供たちが、もう外で遊ばなくなったのかも。」
「子供にしてみたら、放ったらかしになっている場所ほど最高の遊び場なのに、街から猥雑なもの、得体の知れないものを全部排除していこうとしちゃったら、結果的には、子供たちの凶暴化に繋がるだけだと思う。子供たちだってそういう好奇心をどこかで小出しにしていかないと、いずれ爆発してしまう。だから、最近のいじめや少年犯罪がどんどん陰湿化してるんじゃないかな。近代化を全否定するわけじゃないけど、どこかに手つかずの場所を残すことは重要だよね」
現代の子供たちにとって、未だ手つかずの遊び場が残されている(ように見える)としたら、それはネット空間くらいのものだろうか。そこにはまだ、森本作品にも出てくるような、入り組んだ薄暗い路地裏の猥雑な魅力がある。そして、ネット時代となったいまだからこそ、海外の若い世代のファンたちが彼の過去の作品を再発見し、その戦慄にも似た高揚感に取り憑かれるのかもしれない。
「海外の人たちが自分の作品から感じているものは、日本特有な何か、というわけでも無い気がする。ある種の皮膚感というか、気配というか。子供の頃、みんなが経験する、あの“何か怖い”感じとか。塀の向こうに隠されている秘密を覗いてみたい、だけどまだ背が足らなくて覗けない、という感じとかね。」
「路地裏っていうのは、つまり冒険心みたいなものの象徴で。角を曲がると違う風景がぱっといきなり現れるとか、そういう不思議が好きなんです。路地に屋台が並んでいたり、変なものをいっぱい売ってる人がいたりね。昔は田舎にも街にも、そういう不思議がいっぱいあったんですよ。」
「それは山のなかでも一緒。けもの道を行くときの、先が見えない、どきどきする感じ。不気味な音が聞こえたり、気色悪い取り合わせの植物や虫がいたりとか。山にも本当にいろんな、不思議なディテールがある。だから、森とか山のなかを描いた映画のシーンなんか観ると、本当に行ったことある奴が作っているかすぐわかるよ。行ったことない奴の画にはそんなのひとつも出てこないもん。逆にちょっとでもあると、“あ、こいつ、わかってるな”とかって思う。」
和歌山県の奥深い森のなかで暗くなるまで遊んでいた少年期の鮮やかな記憶のエッセンスは、その都市的でスタイリッシュな映像美においても有機的な匂いを放つ源となっている。そこに住んだことのある人にしか聞こえない音、見えない景色。それが、今でも毎年のように帰郷するという紀美野町(旧美里町)にはまだ少なからず残っているという。
「学校から帰って来て、自分のうちが見えるあたり、ちょうど河に小さい橋がかかっていて、ぐるっと周囲の谷が見渡せるところが、今も変わらず好きな場所。 上流にあって静かだから、逆に音の洪水がすごい。誰かが外からクルマに乗ってやってくると、“あ、あの家に客が来たな”ってすぐにわかるくらい。」
「田舎だったから、幼稚園児から中学生くらいの大きい子供たちまで、学ぶのも遊ぶのもみんな一緒。いろんな知恵を子供同士でシェアしたり、10歳くらい歳の離れた子ども同士で勝負をしたりね。年上に負けてもあたりまえなんだけど、負けたら悔しくて、次は何とか勝とうとするんだよね」
「周りにモノもなかったから、もとからないものとして考えて、何でも一から作る。どこかから木をとってきて、穴を開けてクルマを作ったり、木の上に家を作って遊んだり。そういうなかで育ってきたから、人とアイディアを出し合ったりすることが自然に身に付いて、躊躇せずに、どうやったら実現出来るかをいつも子供同士で話し合っていた。」
とはいえ、時代とともに徐々に変わりつつもある故郷の風景を何とか残したくて、近年では当地の町おこし活動にも参画しているという。自身も通った学校がすでに廃校となっていて、その旧校舎を拠点に発信するイベントの企画が進んでいる。それも、クルマの通れない細い道や、けもの道をわざわざ通っていかないと辿り着けないような、“不便さ、大変さ”を逆手に親子で楽しむ手法になるそうだ。
低温化する子供たちを外に連れ出して土の味や匂いを教え、路地裏のワクワクを教えるべき大人たちのほうこそ、無菌化されてしまった大きなコドモたちといえるのかもしれない。その先頭に立って道案内をする森本少年の姿が、目の前に見えるような気がした。
(取材•文 飯干真奈弥)