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Katsuhito Ishii (2/4)

石井克人(いしい・かつひと) 映画監督
Kao Rider

路地裏の宝物を探して

幼稚園で2回、小学校で6回。それは、石井監督が少年時代に経験した引っ越しの回数だ。小学校を終えるまで、ほぼ毎年のように転校していたことになる。石井監督のプロフィールに載る出身地・新潟にも実際には3歳までしか住んでおらず、とくに記憶には残っていない。その後は千葉、東京、埼玉と関東圏内を転々とした。

「今でも面白いもの、不思議なものをずっと求め続ける癖があるというか、すぐに目の前のものに飽きてしまう傾向があるのは、子供の頃に引っ越しを繰り返した影響かもしれません。小学6年のときに、やっと埼玉県の大宮に落ち着いて、中学、高校と地元の学校に通ったときも、それから大学の4年間(正確には4年半)も、すぐに飽きちゃって、すごくつらかったのを覚えてます。」

「引っ越しして新しい環境に順応していくのは、そんなに苦じゃなかったですね。むしろ得意というか。転校先の学校でも、他の土地からきた奴のことは珍しかっただろうけど、周囲でいじめとか全然見たことなかったですし、どこも居心地がよかった。とくに、引っ越した先で“どんな街なんだろう?”とふらっと知らないところを探索しに行くのが好きだった。学校もたまに途中でさぼって散策しに行って、そのまま自宅に戻ると先生が待っていて怒られるみたいな。」

Kao Rider

「逆に、同じ環境にずっといるのがつらい。同じ会社に勤め続ける、とかね。とはいえ、仕事が演出だったのもあって、スタジオやロケ直帰が多いし、あんまり会社に行かずに済んだので、最初の会社(東北新社)は結局9年続いた。でも、その後の会社は続かなかったですね……とはいえ、そこも自分の為に別会社を作ってもらって移籍した形なので、いわゆる会社勤めではなかったんですけど。」

常に新しい刺激を求め、飽きっぽい性格だった少年時代の石井監督を虜にしたのはアニメや漫画の世界だ。現実にはなかなか出会えない面白いもの、不思議なものを好きなだけ夢見て形にすることができる無限の可能性が、そこにあった。

「小学校4年生のとき、電車のなかで漫画を読んでいる人を見かけて、なぜかそこに描かれていた顔の絵がものすごく気になって頭から離れなくなったんです。でも当時、僕の家では漫画が禁止されていたんで、自分でスケッチブックにその顔を描き出してみた。そうしたらなんか止まらなくなって、ひたすら夢中になって、その顔を描き続けたのね。自分でも、描けばうまくなるもんだなあ、という感じでどんどんうまくなっていくのが判った。」

「で、気づいたらスケッチブックの端から端、表紙裏まで全部のページがその顔でびっしり埋め尽くされるくらいになってて、それを見てびっくりした親がついに折れて『その漫画買って来ていいよ』って(笑)。記憶を頼りに本屋で探したら、それが『アストロ球団』という野球漫画の宇野球一という主人公の顔だったことがわかった。それで漫画を買って来て、模写してるうちに、鉛筆で描くのも飽きてきたんで〈宇宙戦艦ヤマト〉のポスターを参考にしながら、絵の具とかエアブラシとかも使って、本格的な絵を描くようになりました。」

「中学1年くらいのときには、友人と3人で一緒に漫画をまじめに描き始めて、同人誌を作って配ったりもしましたね。大友克洋さんの〈童夢〉を真似したりとか。もう内容はほとんど忘れちゃったけど、SFコメディーだったと思います。表紙だけはすごく頑張って描いたのを覚えてます。今、そのうちの1人はプロのアニメ監督になったとか、風の噂で聞きましたけどね。」

Racer Boy

当時から、宮崎駿がどこに住んでいるかを知っているほどのアニメファンだった石井監督。小学生ながら、週末になると都内の小さなアニメスタジオや、東映アニメーションなど大手スタジオを廻り、人気アニメの使用済みのセル画を探しに行っていたという。そこで作画監督時代の宮崎駿の原画や、同氏とともに日本のアニメ界を牽引した名アニメーター、故・金田伊功の原画にも出会った。

「その頃は〈銀河鉄道999〉の背景のセル画とかが 、スタジオの売店で一枚500円くらいで売られていた時代でした。でも、本当に価値の高いセル画は、スタジオの売店じゃなくて、スタジオの外の公園とか路地裏とかでコソコソ集まって個人売買しているような大学生とかが持ってるんですよ。故・金田伊功さんが描いた『さらば宇宙戦艦ヤマト』の原画とか、『ルパン三世』で宮崎さんが担当したクラリスの原画が、5万とか10万で取引されてた。今ではもっと高値が付くだろうけどね。とくに、金田さんが作画を担当したものは別格の扱いでしたね。」

「もちろん僕は小学生だったから、そんな高いものには手が出せないわけで、そういうところに出入りする大学生たちから、背景無しのセル画を安く譲ってもらって、勝手に自分で背景を書き込んだりしてました(笑)。一度、ガンダムの劇場版を作っているという業界人がセル画一袋5000円で売りに来たことがあって、見せてもらったら本物で、マチルダさんが敬礼している背景無しのセル画とかいいやつが結構入ってた。背景は自分で書けばいいんで、一袋買って背景描いて、額縁に入れて売ったこともありましたね。(笑)」

「今は全部ネットで売買されている時代だから、本物かどうか判らないですよね。あの頃みたいに路地裏で、自分の目で掘り出し物を見つけてくるみたいな経験は、もうなかなかできないんじゃないかな。やっぱり本物の原画はすごく巧くて、ひと目で判るんですよ。 そうやって、小学生の頃から金田さんとか、宮崎さんとかの絵を直で見ることができたのは、本当に貴重でした。」

そんな大のアニメ好きだった石井少年にやがて転機が訪れる。故・松田優作が出演する実写映画との出会いだ。それからは、彼の映画がバイブルになった。思い悩んでいた思春期に松田優作から受けた影響はとても大きく、今でも憧れの人だ。社会人になってからも相変わらず飽きやすく、都内で引っ越しを重ねていた石井監督が、西荻窪と吉祥寺に挟まれた善福寺公園近くにある今の住まいにようやく落ち着いたのも、松田優作が晩年まで暮らした邸宅のすぐそばだからだという。そんな大好きな松田優作へのオマージュとも言える衝撃作『スマグラー』で、石井監督は真鍋昌平によるマンガ原作を、アニメ的リアリズムともいうべき特徴的な演出で強烈なバイオレンス・アクションに仕上げてみせた。

金田伊功や松田優作という今は亡き天才たちに出会っていなければ、マンガ、アニメ、そして実写映画と、異なる表現の境界線をいとも軽やかに行き来する現在の石井映画は、きっと生まれていなかっただろう。見慣れぬ街の路地裏へふらっと出かけて行く石井少年の宝探しは、今もまだ続いているのかもしれない。

(取材•文 飯干真奈弥)

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